こんにちは。

スピリチュアルや占いなど、目に見えない世界に興味を持つ人の中には、サイキック能力の高い人への憧れがとても強い、という人もいることでしょう。

なにも事前情報がないのに、いろいろなことをズバリ言い当てるような、隠していたことさえ見抜いてしまうような、そんな能力を持っている人を「神格化」して見てしまうこともあるかもしれません。

確かに、そんな能力を持っている人には、普通の生活をしているとなかなかお目にかかることはありませんよね。

神様から授かった特別な能力・・・のように思えて、なれるのなら自分もそうなりたい!と思うかもしれません。

この記事の目次

スピリチュアルなスクールに通うなら自分と合うかどうか確かめて

いわゆるスピリチュアルなことを教えるようなスクールや、サイキック能力開発を行っているようなスクールは、探せば実はいろいろあったりします。

さまざまな切り口やアプローチがあるので、一概に「これが良い、オススメ!」などということは言えないし、先生やスクールの雰囲気との相性もあったりするのでね。

まずは自分の目で確かめてみることが大事ですね。

実際に足を運んでみて、先生の教えがしっくり来るのかどうか、そこに来ている人たちはどんな雰囲気なのか、何よりも自分が得たいものを得られるのかどうか、それらを肌で確かめると良いでしょうね。

そして「なんか違うな」と思うのであれば、方向転換したり、引き返したりすることをオススメします。

サイキック能力を手に入れたいと思う理由を自分でしっかり分析して

もし、「サイキック能力を手に入れたい!」という理由でスクールなどに通われる場合。

仮にサイキック能力を得たとして、それでなにをしたいのか、なにを得たいのか、そこをしっかりと自分で分かっておく必要があるでしょうね。

その能力を使って、できることはたくさんあると思うのですが、その根底に「人々からすごいと思われたい!賞賛されたい!」などという想いがないかどうか・・・。

普通の人が身につけていない能力を手に入れると、まるで自分が偉くなったかのように錯覚してしまったり、見えない世界と繋がっているほうが、現実生活をしっかり生きることよりもすごいことなのだ、というように思ってしまう人も、少なからずいらっしゃると思うのですね。

でもそれは、結局は「承認欲求」や「自己顕示欲」でしかないのですね。

「私のことを認めてほしい。私ってすごいんだよ!私って特別なんだよ!」と、みんなに思われたい、認められたい、という選民意識のようなものが生みだしている欲求なんですね。

サイキック能力よりも人間性が大事だよ

でも、それはあくまでも「自分の欲」であって、サイキック能力を得ることで、みんなの自分に対する想いがガラッと変わるのかといったら、きっとそうではないのですね。

いくらサイキック能力を手に入れたとしても、その人の人間性が尊敬できるものであったり、愛に満ちた人格でなければ、たとえいっときまわりから「すごい!」と賞賛されたとしても、いずれ人は離れていくでしょうね。

サイキック能力を得ようとする前に、なぜ自分はそれほどまでに人々に認めてもらいたいのか、すごいと思われたいのか、ということを深くみていったほうがよいでしょう。

根本的に承認欲求や自己顕示欲が強くなってしまうのは、「自分自身が自分のことを認めていないから」なのだ、ということに気づく必要があるでしょうね。

鍛錬してサイキック能力を身につけていこう

さて、どの程度の「サイキック能力」なのかにもよりますが、スクールに行くことで、みんな少なからず自分が持っているサイキックな能力に気づくことになるでしょう。

本来私たちは誰でも持っている能力を、練習することで取り戻していく、というような感じでしょうか。

程度の差はあるかもしれませんが、みんな自分が得意なやり方でその能力を開いていくことでしょう。

でも、これもひとつの「技術」なのでね。
ちゃんと基礎を身につけて、練習して鍛錬していかなくてはなりません。

それを怠って、「私にはぜんぜんできない。分からない。」というのは、ちょっと違うのですね。

どの分野の技術でもそうですが、いきなり降ってわいたように能力が身についていた!!なんてことはありえないのです。

どんなにサイキックな人だって、ちゃんと使えるようになるために鍛錬してきたはずです。

毎日きちんと積み重ねて、試行錯誤を繰り返して自分のものにしていく・・・。

その気持ちがあれば、きっと気づいたときには自信をもってその能力を使っていけるようになるでしょう❣