こんにちは。

私たち人間は、変わること、変化に対して、実はけっこうな抵抗感を持っているんですね。

現状を変えたいと思っているのに、なかなか動けないでいる、「まあこれでもいいか」と、結局動かずにいるという人は結構多いのではないかと思います。

この記事の目次

私たちは未知のことに恐れを感じる

口では「変わりたい」と言っていたとしても、なんだかんだ理由をつけて先延ばしにしたりして、気づいたら「あれ?数年前からなにも変わってない・・・」なんてこともあるのですね。

私たちは、未知のことに対して、恐れや不安を感じます。
そして、失敗したらどうしよう、と心配をしてしまうんですね。

でもね、本来、「失敗」というものは存在しないのです。

ただ「うまくいかなかったという経験」があるだけなのです。
その経験から学んで、軌道修正して、また前に進んでいけば良いだけのことです。

うまくいかない=失敗、という価値観

「うまくいかなかった=失敗」というように、意味づけしてしまうのは私たちなんですね。

そして、この意味づけがどこからやってくるのかというと、私たちの潜在意識に深く埋め込まれている価値観や信念からなのです。
個人的な価値観や信念というよりは、「日本の社会全体が持っている信念」と言ってもいいかもしれませんね。

日本は協調性の文化なのでね。
まわりと足並みをそろえて、はみ出さないことが良いことなんですね。

だから、少しでも新しいチャレンジや新しい概念がやってくると、まるでそれが「平和を脅かす悪いもの」であるかのように身構えてしまうんですね。
そして、チャレンジがもしうまくいかなかったりすると、「ああ、やっぱりね。チャレンジはまちがっていたから失敗したんだわ。現状維持が正解よね。」と納得するんですね。

失敗もまちがいも存在しない

でも本来、「まちがっている」ということは何もないのです。
同じように、「これが正しい!正解!」ということもないのです。
なぜなら、相対的に見れば、「正しさ」も「間違い」になるからです。

私たちは常識や、家庭内のルール、親の価値観などに、いつの間にか影響され、それに従って生きてしまっているだけなんですね。

そして、その価値感をもとにして、正しいか正しくないか、成功なのか失敗なのかを判断してしまいます。
その価値観から少しでもはみ出しているような人や言動に対しては、正面から否定したくなるのですね。

でもね、もし誰かがまちがっているように思えたとしても、それはその人の問題であって、その人の「学び」なのです。
私たちがそれを批判して責める必要は、本当はぜんぜんないのですね。

同じように、私たちが何かをまちがえたとしても、それは責められる必要はないのです。

もし自分で「まちがってしまった」と思ったのならば、なぜまちがえたのか、どこをまちがえたのか、ちゃんと見つけていけば良いのですね。
そして、「次からは気をつけよう、もうしません:)」と自分に約束すれば良いだけのことなのです。

うまくいかないからこそ成長がある

人は、新しいことにチャレンジするからこそ、学びがあるんですね。
「うまくいかない」という経験があるからこそ、成長があるのですね。

「うまくいかないことを恐れて何もしない」というのは、実は一番成長しないんですね。

私たちは、できれば一番簡単で一番確実な方法で人生を生きていきたいと思うものですが、そうやって手に入れたものは、あんまり魅力的に思えずに、すぐに飽きてしまうものです。

チャレンジして、試行錯誤している最中が、実は一番楽しい時間なのかもしれませんね:D

そして、チャレンジの先には、確実に「成長している私たち」が待っていますよ❣