こんにちは。

先日、年下の友人と話していたときのこと。

彼女は今年32歳になるとのことで、
「今年は本厄なんですよ〜。おみくじ引いたら凶だったし。大丈夫ですかね〜」
と・・・。

「へえー。厄年とか信じてるんだね」と言ったところ、
「だって19歳の厄年のときには、2回も交通事故に遭ったんですよ!!」と。

ああ、これはもう完全に刷り込みとゆーか、強固な思い込みが出来上がってしまってるなぁと思いました。

「厄年」という考え方も1つの思い込み

日本には「厄年」という考え方がありますね。

これはもう文化として根づいてしまっているので、日本人全体の「信念」とゆーか「思い込み」になってしまっていますね。

「厄年」という考え方自体を否定するわけではありませんが、その考えによって必要のない災厄を呼び込んでしまっているのなら、それはナンセンスだなと思うのです。

そもそも「厄年」という考え方がいつどうやって発生したのかは分かりませんが、おそらく厄年にあたる年齢の頃は、言動が浮つきやすいとか、体力もちょっと落ちやすいとか、人生の節目にあたっていろいろ悩ましいことが増えるとか、そんなことを意味していたのではないかと思うのですね。

だから、普段よりも気を引き締めて事にあたろうね、というちょっとした戒めとか警告の意味があったんじゃなかな、と。

それが現在では、「神社で厄払いしないと災厄が起こるよ!」という、恐怖心をあおるような信仰になってしまっているような気がします。

もちろん、神社でお祓いをしてもらうことで、
「私はお祓いもしてもらったし、悪いことは絶対に起こらない」
と前向きに思えるのなら、どんどんお祓いしてもらえばいいと思います。

いずれにせよ、思い込みが現実を引き寄せているのでね。

出来事を客観的に見て正しく認識しよう

先の友人の例で言えば、確かに19歳のときに交通事故に2回も遭遇したようで、そのときの印象が強烈にインプットされてしまったのでしょうね。

そして、その理由を探したときに、「そういえば19歳って厄年だった!」と思い当たってしまうと、そこに意味づけしてしまうのですね。

「厄年には事故にあったり、なにか良くないことが必ず起こる」と。

でも、よくよく話を聞いてみると、当時の事故は、運転していた友人の不注意によるものだったようなのですね。
運転免許取りたてで、まだ怖いもの知らずだったのかもしれません。

その事故から学ぶことは、
「厄年には良くないことが起こる」ではなくて
「運転中の不注意は、命取りになることを肝に銘じる」
ということだったはずなのですね。

そこを、取り違えないことが大事なのです。

起こった出来事がなにを教えてくれているのか、それをしっかりと見極めなくてはいけませんね。

間違った認識や思い込みは手放そう

こんなふうな思い違いとか誤解って、実はたくさんあるのですね。

私たちは、広い視野で物事を客観的にとらえなくてはいけません。

「事故」などショッキングな出来事に遭遇したときには、そのときの感情とともに、その時の思い込みが潜在意識に強くインプットされてしまいやすいですね。

これは根深く残ってしまい、不必要な思い込みとなって私たちを苦しめる原因になりかねません。

厄年のたびに、そのときの感情を思い出し、その時の思い込みを再認識するような出来事を引き寄せてしまいかねません。

でも本来は、災厄を呼び寄せる必要はまったくないのですね。

なにも起こらない厄年があったっていいのです。

もし仮に何かあったとしても、その出来事と厄年を結びつける必要はまったくないのですね。

そのときの出来事からちゃんと必要なことを学べれば、それでおしまい!で良いわけです。

必要な学びを得たらそれでOK

ちょっとみなさんも振り返ってみてくださいね。

そんなふうに、必要のない意味づけをしていることはないでしょうか。

意味をつけるのではなく、事実を客観的にみること。
そして、そこから必要な学びを得ること。

それだけでOKなのです:)

もしそこに、必要ない意味づけをしていて「思い込み」や「信念」になってしまっているのなら、不必要なものは解き放って、新たなものに書き換えてあげてくださいね。