こんにちは。
ヒプノセラピー(催眠療法)は、大きく分けて、「過去世退行」と「年齢退行」の2つがある、ということを以前お伝えしました。
この記事の目次
亡くなった人と対話するグリーフセラピー
ヒプノセラピー(催眠療法)では、それ以外にもいろいろと出来ることはあるんですね。
そのうちの1つに、亡くなった方と対話をする、というものがあります。
これは、グリーフセラピー(悲嘆療法)と呼ばれるもので、近親者などの身近な人の死や、ペットの死などで、深い悲しみに落ちている心を、癒していこうというものです。
「え?亡くなった人と対話なんて本当にできるの?」と、私も最初は思いました。
私の父は、4年ほど前に他界しました。
父は、入浴中の脳出血で、あっという間にこの世を去ってしまったのですが、かなりのいい年齢だったので、寿命だったのだなと、私は父の死を淡々と受け入れていたんですね。
生前も、親密な心の交流があったかというとそういうわけでもなく、年に数回、実家に帰ったときに、二言三言、会話をする程度でした。
亡くなったことに対する悲しみは、そこまで深いというわけではなかったのですが、グリーフセラピー(悲嘆療法)をする際に、父に会えるなら会いたい、と思ったんですね。
亡くなった父に会う
催眠誘導されながら、本当に父が会いに来てくれるのか、どんな姿でやってくるのか、かなりドキドキだったのですが・・・。
イメージの中に現れた父は、若返っていて、憑き物が落ちたような表情を見せてくれていました。
生前の父は、最期まで、あまり心が晴れやかになったことはないのではないかな、と思えるような感じだったので、私は父に会う度に切ない気持ちになったものでした。
でも、さまざまな生活の煩わしさや、心を悩ますことから解放された父の表情は、穏やかな笑顔を浮かべているような感じで、随分と気分が良いのだということを感じさせてくれました。
それから、父としばらく会話をしたのですが、亡くなって肉体を脱いだ今だからこそ言えるようなメッセージを、父は届けてくれたのです。
そしてそれは、まだこの世で暮らしていく私への、父なりのアドバイスだったように思います。
セラピー後はとても幸せな気持ちに
それほど長い時間ではありませんでしたが、父に会うことができて、元気そうな顔を見ることが出来て、私はとても幸せな気持ちになりました。
生前の父は、この世で生きていくためにたくさんの苦労をしていましたが、セラピーのイメージの中で会った父は、生前のさまざまな煩わしさから解放されつつも、今回の人生から得た教訓のようなものを、しっかりと私に伝えてくれたのでした。
セラピーの前に抱いていた、私の中の不安や心配は、まったく消し飛んでしまいました。
父とはちゃんと会うことができたし、とても元気そうな姿を見せてくれたし、「父のハートからの言葉」を聞くことができて、父に会ったのは確かなことだったのだ、という確信を持つことができました。
ただの私の妄想などではないのだ、ということを実感することができたのです。
死者とコンタクトを取るのはミディアムという霊能者
亡くなった人とコンタクトを取るには、「ミディアム」と呼ばれる死者とコンタクトを取る霊能者を介して、メッセージを伝えてもらったり受け取ったり、というのがメジャーなんですね。(日本のイタコのような感じです)
でも、こんなふうにヒプノセラピー(催眠療法)で、実際に自分自身が会いたい人に会えてしまう、というのは、画期的というか感動的だなぁと、思ったのです。
やはり、「ミディアム」を介してメッセージを受け取るよりも、自分が直接メッセージを受け取った方が、感動も何倍も違うんじゃないかしら。
もちろん、「ミディアム」は「ミディアム」で、役割があるので、それを否定するつもりは一切ありません。
ヒプノセラピー(催眠療法)など出来る状態じゃないような、深い悲しみにくれている人の場合などは、「ミディアム」に間接的にでもメッセージを伝えてもらうことが、救いになるでしょう。
セラピーに対して疑いがあったり、心の準備ができていないような人の場合も同じですね。
「まさか自分が死者とコンタクトを取れるなんて・・・」と思う人は、おそらく大勢いるはずなので。
潜在意識では死者とも意識がつながっている
でも、実際に私はグリーフセラピー(悲嘆療法)をしてみて、死者に会うから特別、というものではなく、私たちの潜在意識の深〜いところは、結局みんな繋がっているのだな、と思うんですね。
過去世の自分だって、結局は亡くなった人に会いにいくようなものだし。
今生で亡くなった人には会えない、という理由はどこにもないのですね。
私たちは本当は、いつでも会いたいときに、会いたい人に会うことができるんですね。
潜在意識の旅は、そんなことも可能にしてくれる、素晴らしいものなんですよ❣
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