こんにちは。
今日は、「命の大切さ」というベタなテーマについて。
この記事の目次
自死のニュースには胸が痛みます
最近は芸能人などでも若い人が自ら命を絶つようなニュースが多くて、個人的にとても胸を痛めています。
芸能人という世間から注目される職業を選んでしまったことで、一般の人には想像もつかない気苦労があったのかもしれませんが、それにしても残念です。
近親者や友人など、自分に近しい存在の人が命を絶ったとしたら、その衝撃ははかりしれないことでしょう。
自分とはまったく関係ないような存在の人であっても、彼らの自死に心が痛むのは、おそらく私たち人間が、この世に産まれることや生きることの尊さを本能的に知っているからなのかな、と思います。
「生きていく不安」をテーマにヒプノのセッションを受けたのでシェアします
先日、私自身がヒプノセラピーのセッションを受けたのですが、その個人的な体験をみなさまにシェアしたいと思います。
その時のセッションでは、自分の中にある「生きていく不安」のようなものの原因を探るために退行していきました。
最初に入った場面では、私はブラックホールのような暗い大きな穴に落ちていく場面でした。
真っ暗闇の中、「私はもう生きていけないのだ・・・」と絶望を感じています。
そう思いながら、あれもこれもやりたかったことがたくさんあったのに、と感じているのです。
てっきりそのまま死んだのかと思っていたのですが、次の場面では自分が真っ暗闇の中、地面に横たわっているのを感じます。
そのときに、自分の腕に地面の冷たさを感じて、自分がまだ生きているということを知るのです。
肉体がまだ滅びていないからこそ、腕や地面というものを感じられるのだと。
人間も動物も同じ命を持つもの
さらに次の場面では、先程の横たわっていたところからさまよい歩いたようで、森の中で誰かが起こした焚き火の赤々と燃える炎を見つめています。
炎の暖かさを感じるとともに、まわりにも自分と同じように火を求めて集まってきている動物たちがいるのを感じています。
人間にとっても、動物にとっても、火は生物にとって大事な「命の火」なんだと痛感し、人間も動物も「命を持つ存在」ということでは同列なのだと感じるのです。
その後の場面では、生きている自分がウミガメの背に乗りながら、自分が生きるための食料として魚を獲っていました。
魚の命をもらうことで、自分自身が生きることへの感謝を感じながら。
ここまで、誰も人間は出てきていませんが、同じ命を持つ「生き物」と共存している自分というものを感じています。
生きることへの深い感謝
そして、この人生の最後の場面では、地面に横たわりながら、満点の星空を見上げています。
もう息を引き取ってこの人生を終えようとするこの瞬間に、湧き上がってきたのは「感謝」の念でした。
自分は生かされていたのだということ。
自分が生きるために、自然や動物や植物が存在してくれているということ。
同じ命を持つものという意味では、人間はその他の生物と同等なのだということ。
自分が生きるためのすべての環境を与えてくれているのが、「地球」という惑星なのだということ。
それらの理解が同時にやってきて、ただただ「生きる」ということへの感謝の念が、とめどなく溢れ出しました。
ハートの深い深いところからやってきた「感謝の念」はしばらく尽きることなく、ただただその感覚に浸り続けました。
私たちは生かされている存在
今までヒプノセラピーのセッションは何度も受けていますが、このような根源的な感覚を理解できたのは初めてのことでした。
私は「生かされている存在」である、ということ。
そのために完璧な環境の中に自分がいるのだということ。
このシンプルだけどすべてを包括する事実を、身をもって体験することで、人が生まれながらに持っているであろう「生きることや死ぬことへの漠然とした不安」のようなものが、あまり意味を持たないのではないかと思えるようになりいました。
私たち人間を含む「生きとし生けるもの」は、そのような不安や恐れを超越した存在なのだということ。
この深遠な事実を突きつけられて、改めて思ったのは、
「命の尊さ」であり「命の大切さ」というシンプルだけど厳然たる事実です。
絶望を感じたときこそ本能に耳を傾けて
「生かされている」という感覚は、普段の生活の中ではなかなか感じることができないものでしょう。
でも、本能的に私たちはそれを知っているからこそ、自死を選択する命への虚しさや悲しみを感じるのかもしれませんね。
絶望の中にあるときは、なにも光が見えないし、それ以外に選択肢がないように感じてしまうかもしれません。
その感覚もまた、人間だからこそ味わえるもの。
それを否定するつもりはありませんが、そんなときにこそ、どうか本能に耳をすませてほしいのです。
私たちの本能は、「命の尊さ」や「生かされている命」であることをきっと知っているはずです。
本能に従って、選択をしてほしいなと思うのです。
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