自立と堅実な歩み
今から100〜200年ほど前の、ヨーロッパ地方に私は生まれました。
男性で、名前はピーターです。
まるで「アルプスの少女ハイジ」に出てくるような、人里離れた山奥の村で家族と暮らしています。
家族は、祖母(父の母)、父、母、私、弟、妹で、私は長男として、子どもの頃から家の手伝いをして家族を助けていました。
それは誰に強制されたわけでもないのですが、私は家族が喜んでくれるならと、一生懸命に家の仕事を手伝っています。
本当はまだ子どもで、親に甘えたい気持ちや、学校で友達と遊んだり課外活動をしたりして過ごしたい気持ちもありましたが、家族の一員としての役割だからしょうがないと、半分割り切ったような気持ちでした。
そんな私の気持ちを祖母や両親はちゃんと分かってくれていて、私のことを頼もしく微笑ましく思っているようでした。私も家族が大好きだったので、より一層頑張ろうとしていたのだと思います。
次の場面では、私は成長して25歳ぐらいの青年になっていました。
私は相変わらず、家族のために一生懸命に家の仕事の手伝いをしていました。
その生活に半分は満足していましたが、残りの半分では、家族にとらわれないで自由に人生を生きてみたいという気持ちもありました。
ですが、自分が自由に生きてしまったら、家族とは物理的にも心理的にも距離ができてしまいそうで、家を出ることにためらいを感じていました。
でもそれから少しして、人生がこのまま終わってしまうことに焦りを感じて、思い切って都会へと出ていったのです。
いったん実家を出てみると、心配していたほど距離ができてしまうようなこともなく、私は着々と自分の人生を切り開いていくことができました。もともと堅実な性格であったこともあり、冒険をするようなことはありませんでしたが、一歩一歩着実に自分の力で生活をしていくことができたのです。
私は仕事で知り合った10歳近く年下の女性と結婚しました。妻とは互いに深く信頼しあっていて、私たちの間には男の子も誕生しました。
50歳ぐらいになると、私は今で言う「コンサルタント」のような仕事をして、まわりの人々の相談にのったり力を貸したりしていました。仕事は順調なようで、自分の力の及ぶ範囲内で堅実に仕事を大きくしていっているようでした。
そして60代後半になると、私は老衰でベッドに横たわっていました。
妻への感謝でいっぱいの気持ちの中、静かに息を引き取りました。
このようなストーリーを見ることができて、とても楽しかったです。
最初は自分の過去世であるということが腑に落ちてなくて、ぜんぜん別人の人のストーリーだと思っていましたが、ピーターも自分自身なのだとわかったときに、自然に共感が湧き上がってくるのを感じました。
不思議とピーターの気持ちがすごくよく理解できました。
卵巣嚢腫の手術をしなくてはいけないこともあってヒプノセラピーを受けましたが、今生の自分は、女性に生まれたのに肉体にすごく負荷をかける生き方をしていたこと、それが原因でこのような病気になったのだということがわかり、すごく納得しました。
このストーリーのピーターは、最後にとても幸せな気持ちで亡くなっていったのが感じられました。自分の身の丈に合う仕事をして亡くなったから、自分の人生に対する心地良さのようなものを感じました。
「自分の身の丈にあう」ということが、とても心地よいことなんだということ、それを体感できて幸せな感覚を味わいました。
こんなふうに自分も死ねたらいいな、と思いました。
- ヒプノセラピーは、自分が見ているストーリーが事実かそうでないかはそれほど重要ではなくて、それを超越した、今生を生きるための手助けになるものだと感じました。
- 今うまくいっていないことなど(病気などふくめ)は、それは外側からきているのではなくて、自分の内側から来ているということを理解する経験になりました。 病気などは大変な経験ではあるのですが、それを知ることで少しホッとできました。
- ヒプノセラピーは、人を救うものだと思います。そして、今一番必要なことを教えてくれるものだと思います。
- すぐ解決できない問題であっても、原因を正しく理解することで、解決する道が開いてくる。その大きな手助けになるものがヒプノだと思います。 色んな意味で衝撃的な体験でした。本当に受けて良かったです!