寂しさを癒してくれた新しい家族の愛
私は日本の片田舎に生まれました。サヨという名前の女性です。
私には父親はおらず、母に育てられています。
母は、好きになっても一緒にはいられない相手に恋をして私を産んだようでした。父は、私という存在を知らなかったのかもしれません。最初から父の影はなく、母親が私を1人で育てていました。
たった2人の家族で、その日暮らしのような感じでしたが、母はとても優しく私を愛情で包んでくれました。私の家は、まわりの家から少し離れた場所にありましたが、私は同じような年頃の子供たちと、毎日外でよく遊んでいました。
私が12歳になったとき、母が亡くなりました。母はもともと体が弱くて、家で寝込んでいることもよくありました。私は、母がもう苦しまくて良いのだと思いました。
うちから一番近いところに住んでいる友だちの男の子のお父さんとお母さんが、母親の遺体を裏山に運んで、埋めてくれました。
私は、ひとりぼっちになってしまい、もう母に会えない悲しみと、これからやっていけるのだろうかという不安を感じながらも、寂しさや悲しみを感じないように生きていくしかありませんでした。
それからは、生きていくために働き出しました。家から少し離れた町まで行き、町中のお店で私は働きました。そのお店のお使いで、時々、大きなお屋敷にお菓子を届けに行くことがありました。私はそのお屋敷に住んでいる家の息子に思いを寄せるようになりました。そして、相手もまた自分のことを気にかけてくれているようでした。
私が19歳になったとき、その大きなお屋敷の彼の家の食事会に招かれていました。それは、彼が私のことを両親に紹介するための食事会でした。
私は身よりもないので、彼の家が自分を受け入れてくれるのかとても不安でしたが、彼のお父さんもお母さんも、快く私を受け入れてくれました。
やがて私は彼と結婚し、彼の家の家族となりました。2人の子供にも恵まれて、優しい夫と義両親とともに、生きることができたのです。
56歳で、私は家族に見守られながら息を引き取りました。とても安らかな気持ちでこの世を去ることができました。
父親の居ない家庭に生まれ、12歳で母親を失くして天涯孤独となってしまった私の幼少期は過酷でしたが、母親の愛をしっかり受け止めて、自分を生んでくれたことに感謝できる心を持っていました。
自分でも驚くほどに強く逞しい姿に「私はほんとはもっとやれる子なんだ」と思いました笑
結婚後は食べることに困らない暮らしで、子供二人に恵まれ穏やかに生涯を閉じました。死の床で私が感じていたのは「自分は本当に幸せだった」という気持ちです。
過去世の私が幸せに感じていたことのひとつひとつは、現在、私も持っているものでした。明日を不安に思わなくていい暮らしと最愛の子供の笑顔と一緒に過ごす時間。
なんとなく漠然と「これでいいのかな?」と感じていた日常でしたが、一般論としてではなく、実感として、本当にかけがえのないものだということに気付けて良かったと思っています。
- どこかにある過去世を見に行くような気持ちで臨みましたが、実際は自分の中にある記憶を呼び出す作業のような感覚でした。 カノンさんからの問いかけに、確信がないながらも答えていくと、いつの間にかストーリーがつながっていくのです。 頭で悲しいと思う前に感情が襲ってきて涙が先に流れたり、自分だけではなく、過去世の自分を支えてくれていた身近な人の想いを自分の想いのように体験できたりという、初めてのとても貴重な経験でした。