仲間とともに、人々のために
私は17世紀頃のイタリア地方に生まれました。男性で、名前はゼベット。
父、母、伯母(母の姉)との4人ぐらしでした。
父は鍛冶屋さんのような火を使う仕事をし、母は病弱ながらも私や家族の面倒を一生懸命みてくれていました。
父は働き者で、母はとても美しく、私はそんな両親が大好きでした。
病弱な母を助けるために、伯母が一緒に暮らしていましたが、私はやんちゃないたずらっ子だったので、伯母を困らせることもあったようです。
平和な暮らしでしたが、それは長く続かず、私が5歳のときに、両親と伯母は当時はやっていた天然痘にかかり亡くなってしまいました。
私は完全にひとりぼっちになり、悲しくてどうしていいか分からないでいました。
お腹が空いて、あてもなく1人で道を歩いていると雨が降ってきました。ある家の前で雨宿りをしていると、その家の住人であるおばあさんが、家に招き入れてパンを与えてくれました。
事情を知ったおばあさんは、親切にもその家で一緒にくらすことを提案してくれたのです。
それからは、おばあさんと飼い猫との3人ぐらしが始まりました。
血のつながりはないけれど、私はおばあさんが大好きだったし、おばあさんも私をとても大事にしてくれました。
次の場面では、私は17歳になり、大学のようなところで学んでいました。そこでは「哲学」を一生懸命学んでいました。
私は「世の中を変えたい」と強く思っていました。自然災害で作物ができず、どんどん税金は高くなり、大人たちはみなイライラしていました。みんなが幸せになれるような世の中を作りたかったのです。
25歳になると、私は「活動家」として政府と闘っていました。仲間たちとともに暴動を起こし、私はその指揮をとっているようでした。
暴動を主導しながらも、私の心には虚しさが広がっていました。本当は話し合いで解決できれば良いけれど、政府は貧しい自分たちの話をまともに聞いてはくれないのです。
「暴動」という手段をとらざるをえず、そのために仲間たちが死んでいくこともありました。
「世の中を変えたい」と強く思うものの、本当にこんなことをしていて状況は変わるのだろうか、良くなるのだろうか、という気持ちも胸に広がっていました。
そして26歳のとき、ついに私自身も政府の銃弾に倒れてしまいます。
無力感と残念な気持ちを抱えながら息を引きとりました。
現実には行ったとこも見たこともない場所なのに、そのときの風景や人々が見えてくるのが不思議でした。しかも、そのときの自分の気持ちや感情がわかるのが本当に不思議でした。
人生の次の場面にもちゃんと飛ぶし、今何歳ぐらいかな、というのもふと分かるので不思議です。自分だけど自分じゃない、そんな感覚。
ゼベットは幼いときに家族がみんな亡くなってひとりぼっちになってしまいましたが、それがなんとなく現在の自分の心境とリンクしているのかな、と思いました。
現在の私は家族もたくさんいるけれど、どこか「ひとりぼっち」のような気持ちを抱えて生きてきたような気がします。
寂しさや怖さ、愛されたい気持ちなどが今の自分の中にもあったことに気づかされました。まだ私が幼い頃、自分の妹が生まれたときからずっと、このような気持ちを持ち続けてきたのだと思います。
ゼベットは、志なかばで銃弾に倒れてしまったけれど、仲間と一緒に、人々のために頑張るという気持ちや意識は、今後の自分の生活にも活かして受け継いでいければと思っています。
「誰かのために」「人のために」という感覚は、もしかしたら私の魂がずっと持ち続けているものなのかな、とも思いました。
- 催眠にかかっている間は意識がなくなってしまうのかと思っていましたが、しっかり意識はありました。まわりの音は全部聞こえているけれど、しっかり催眠に入っているというのが不思議で初めての感覚でした。
- はっきりと見えるわけではないのだけど、うっすらと映像で見える、自然に分かる、というような感覚が面白かったです。セラピーのあいだは、体がとてもリラックスしていて気持ち良かったです。
- セッション後は、とてもスッキリしました。心がとても穏やかで、静かで優しい気持ちになり、とても心地良いです。
- セッションで受け取れたことを、今後の生活に活かしていければと思います。またぜひ受けたいと思っています!本当にありがとうございました。